0 Comments
 社会人になれば当然のことではあるが、いわゆる童謡と呼ばれる「こどもの歌」に触れることはほとんど無くなる。保育士や教員など、子供達とすごす職につけば別であるがそれらを除く大人達はこどもの歌にふれる機会が少ない。ただし、その生活が変わるきっかけがある。それが子育てだ。

 子育てを始めると幼児番組や保育園、幼稚園などでこどもの歌に触れる機会が格段に増える。自分がこどもの歌を卒業して子育てを始める迄、私の場合は10年以上こどもの歌と離れていたことになる。十年一昔とはよく言ったもので、自分が幼かった頃に定番だった歌に加えて新しい定番曲というものがいくつか増えていることを知る。そんないくつか増えた定番ソングの中の一曲がカレンダーマーチだ。

 私が初めてカレンダーマーチを聴いたのは半年ほど前。保育園で開催されたちょっとしたイベントでのことである。

 そのイベントでは人形劇の後に、ギターを持ったお兄さんが歌を歌うコーナーがあった。「手のひらを太陽に」や「チューリップ」などいくつかの歌に続いて、

「よーし、じゃあ次が最後の歌だよ、みんな知ってるかな? カレンダーマーチ!」

 と言った瞬間、子供達全員が、

『わーっ!!』

 と大きな声で喜んだ。あまりの反応に私はびっくりした。子供達がこんなに反応するなんて、一体どんな歌なのだろうか。ただその時はこのカレンダーマーチを聴いてもそれほどの歌とは思わなかった。1月から12月まで、それぞれの月をイメージする言葉で紡いでいく、メロディも軽快で親しみやすくはある。ふーん、まあいい歌っちゃあ良い歌だね、くらいの感想だった。

 ところが娘の卒園式でのこと。卒園式で卒園児と在園児が一緒に歌う歌としてこのカレンダーマーチが合唱された。卒園式というイベントのせいもあるだろうが、それ以上に私はこの歌に感動を覚えた。他にもいくつかの歌が歌われたが、このカレンダーマーチこそがもっとも心に響いたといっていいだろう。

 カレンダーマーチという歌は非常にシンプルだ。軽快なメロディにのせて、一年の移り変わりを表現した歌詞が流れる。この歌詞をよくみると解るのだが歌詞の中には「嬉しい」だとか「悲しい」だとか「ありがとう」とか「ごめんなさい」などの言葉は無い。友達もでてこなければ家族もでてこない、あくまでもその月その月をイメージさせるイベント等を歌っているだけだ。そしてさびでは「一年たったら、またおいで」としめる。

 日々の風景を淡々と歌い上げることで、聴く人それぞれの思い出が蘇る。一月に良い事が有った人も悲しい事があった人も、同じ一月という時間が蘇る。喜びも悲しみも、良い事も悪い事も、何があっても時はすぎるものだ。過ぎ去った季節に「また来年もよろしくね」と伝えて新しい明日を迎える。この歌を卒園式できいた私の頭の中には娘と過ごした通園の日々が瑞々しく弾けては消え、消えては現れ、見事にフラッシュバックされていた。そして、これほど迄に聴く人の思い出を蘇らせる歌があったのかとカレンダーマーチという歌の魅力を実感する事になったのである。この卒園式での体験のおかげで私は何故子供たちがあんなにもこの歌を気に入っていたのかが解った気がした。

 カレンダーマーチの魅力に気がつく為に、私は卒園式という「感性のカンフル剤」を必要とした。おそらく子供達にはこのカンフル剤が必要無い。

 このブログを読んでくださっている方の多くが共感していただけると思うが「大人の一年と、子供の一年は違う」。ましてや小学校にも行っていない幼児の一年は、驚きと発見が宝物のように満ち溢れていることだろう。そんな豊かな毎日をカレンダーマーチを歌う子供達は無意識のうちに思い描いているに違いない。

 子供たちの宝物は大人にとってはどうでもいいことの方が多い。公園の小石や、帰り道で拾った落ち葉。窓に付いている水滴や、トイレットペーパーの芯...etc。

 きっと、子供たちはカレンダーマーチと共に沢山の宝物を抱えて生活し、カレンダーマーチを忘れるころには何も考えずにトイレットペーパーの芯をゴミ箱に捨てるようになるだろう。飛ぶように流れる毎日の中で小さな宝物はどんどんと色褪せていく。それが大人になるということだ。ただ願わくば、ふとした瞬間にカレンダーマーチを思い出して、口ずさんで欲しい。小さな宝物を思い出して、ふわっと心を暖かくして欲しい。そして、自分の子供たちにもこの素晴らしいカレンダーマーチを歌ってあげて欲しい。そう願わずにはいられない。私もこれからは、

「一年たったらまたおいで」

と、たまには口ずさんで日々を送っていこうと思っている。
ひらくん
Posted byひらくん

Comments 0

There are no comments yet.

Leave a reply