キッズプレート、パスタおかわり

プログラミングやデジモノについてあれこれ
--.--.-- --:--|カテゴリ:スポンサー広告| コメント(-)

スポンサーサイト


上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2006.04.02 13:56|カテゴリ:エッセイコメント(0)

田舎の小学校


 私のいた小学校は木造平屋建という代物だった。全校生徒も50人弱、私の同学年はたったの5人という、超田舎である。ここまで田舎だと鼻も高い、なんてったって熊もでるのだ。夏になると毛虫が道端で車にひかれてたくさん死んでおり、虫嫌いの私にとってはまるで地獄絵図だった。さらに登校途中の大きな橋の上ではある時期になると産卵を終えたかげろうの死体が雪のように2~4cm程積もる。これも私にとっては地獄である。かげろうの死体というのは困ったもので臭い、更によく滑る。私は、こけたことがないが、私の知人でこけた人を何人か見かけた。それをみるたび自分がこけたところを想像してしまい気持ち悪くなる。私は、熊に遭遇するよりもここでこけるほうがいやだと思ったほどである。しかし、学校は面白い、全校生徒1~6年生までみんなお友達である。昼休みには全校のほぼ2/3がグランドで一つのスポーツを一緒にする。先生達の半分もまざっている。特に冬のサッカーは面白かった。保健の先生などは長靴にカイロを5~8個ほど詰めて頑張っていた。誰がきめたわけでもないのに、季節ごとにやるスポーツは決まっていたようなきがする。
 数年前の事である。私やみんなは、木造の校舎が大好きだった。なんとも言えない温もりがあった。木の床も木の壁も木の柱も全てに命があった。しかし、そんな校舎も年月には勝てなかった。何十年もこの場所に立っていた校舎の取壊しが決定した。鉄筋コンクリートになってしまうのだ。みんな口を合わせて嫌だと言った。誰も望んでいないのに取り壊されてしまうのだ。こんなに、みんなに愛されているのに・・・。
 取り壊されるのは校舎だけではなかった。グランドにあった、大きなポプリの木も桜の木も菜の花の咲く場所もクローバーのたくさん咲く場所もみんな、みんな消えてしまう。
 工事の着工は私たち5人が卒業してから始まった。学校の側を通るたびに思い出の場所が一つ、また、一つと壊されていった。心が痛かった。私たち5人も今までの卒業生達もみんな声には出さなかったが、みんな泣きたかった。昔、この小学校にいた先生も何人か尋ねてきた。一度でもそこで生活すればずっと忘れられないような場所だったのだ。
 そして、工事は終わった。奇麗な鉄筋コンクリートの校舎と殺風景なグラウンドがそこにはできた。今では先生達のなかで、木造校舎を知る人はほんの2~3人になってしまった。生徒も、もうそろそろ、木造校舎で暮らした年代は誰も居なくなるだろう。木造校舎の後をしのばせるのは、写真と私達の心の中のあの暖かい姿だけである。

ブログランキング( ̄ー ̄ クリックすると喜びます
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL

プロフィール

ひらくん Author:ひらくん
どもども、ひらんくんどす。
日々まったり過ごしております。
仕事はDTP関連のスプリクト&アプリケーション開発。
Follow happyscript on Twitter

ブログ内検索



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。